徒然なるままに '14
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'14.04.23(水)  何かがおかしい。大阪市の小中高等学校の教員にどのような不具合があるというのだろうか。

昨日付け朝日新聞夕刊に、「大阪市長橋下が『私立学校の校内人事を教員の選挙で決めるな。校長の人事権に問題が生じる』といい、教育委員も一致して同意した。」と報じられている。これは教員の間で校務を分担する組織の責任者をみんなで決めずに校長が決めろ、ということを示している。
確かに、一般企業にあっては係長や主任を平の社員が選挙で決めることは不合理である。利益追求のためにはトップダウンの考えで戦略を練らねばならない。しかし、上司の命令に異なる意見を出さないのが本当に仕事をする人間の理想なのだろうか。しばしば伝えられる従業員の意見が率直に議論される企業は成長すると報じられているのは嘘だろうか。

学校はその生徒を学校にとって不利益だから切り捨てるとか、マイナーな考えを持っているから切り捨てるとかできない組織であることをどう考えているのだろう。校内人事といえば大げさだが、みんなが役割を分担するだけにすぎない。教務主任とか、教務部長とか呼ばれるが、それは教務と呼ばれる仕事分担グループのまとめ役にすぎない。長い歴史に亘って仕事量が多く深い経験が必要で、かつ、気遣いが要求される役割であるが金銭上の優遇措置が歴史的になかった役割である。教員がそれぞれ児童・生徒の教育に十分な力が発揮できるようにこれらのまとめ役は交代しながら引き受けている。先輩はそれぞれの重役に対応できるように後輩を育てていることも事実である。

個人の考え方では『そのようなしんどい仕事はしたくない。こどもと少しでも一緒にいたい、部活動でこどもを指導したい』ために役割を受けたくないという人物も出てくる。校長の命令だから引き受けよ、さもないと分限免職にする(クビにする)といえば引き受けるだろうが進んで仕事をすることもないであろう。
学校が一般企業と最も異なるところは、縦の命令系統で仕事をするところではなく、全教員が協力して人間を育てるところである。仕事を分担する仲間から誰が役目を引き受けるか真剣に考えられた者がそのしんどい役を引き受けることでみんなが信頼し、本人が納得するのである。


卓越した長が上意下達で素晴らしい結果を残せるものなら、この7年間で大阪府は府民が喜ぶ素晴らしい結果が得られたはずだし、この3年間で大阪市民はずいぶん幸せになっているはずである。大阪市議会を納得させるだけの技量さえ持たない当人が長が万能であるというのが矛盾している。
2008年の橋下が知事になってから大阪の教員はどれだけ希望を持って職務に邁進しようとする雰囲気ができたか。お友達を校長にして、府立和泉高校の教員がどれだけ学校を良くするための協力体制ができたか。

選挙で校内の役割分担を決めることで、教育上どのような不具合が起こっているのか。それによってこどもたちがどのような不利益を受けているのか。それは誰も知らないのではないか。

同時に市長はゼロトレランス(寛容度ゼロ)、すなわち罰則などでこどもに規律を厳しく学ばせる指導法を示し、教育委員長も同意したと書かれている。どんなこども(兵士)を作りたいのか。メジャーでない子はどこで息をすればいいのか。改めて考えたいと思う。

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